命は大事だと教えたいのなら
今月6日、秋田市の県動物管理センターで、県内で保護された犬18匹と猫18匹の殺処分の現場に立ち会った。
中には、やつれた体で6匹の子犬に授乳していた母犬もいた。前日まで職員が譲渡先を探したが、見つからなかった。(イヌネコの殺処分に立ち会った、人間には「看取る責任」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞))
これへの、ネットユーザー(の一部)の反応
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やはり命は特別なんだよね、みんなが特別だと思っているから。ただ、特別だと思う人達同士でも消化の仕方に違いがある。ある人は動物を「飼う」こと自体傲慢だと言うし、またある人は「人間だけが特別だから他はどうでも良い」と言い放つ。大分隔たった意見でもあり、命が大事という大前提を共有してもいる。そしてその大前提だって、何か根拠があるわけじゃない。
「命を大切にしましょう」とは、「”命は大切だ”・・ということにしましょう」という意味だ。それは食事という、欠くことのできないものと矛盾する。どう言い繕おうが矛盾している。これらが「ちぐはぐである」という感覚に対するには、「でも命が大切だ」という感覚を育てるしかない。
もしも命が大事だと教えたいなら、そもそも矛盾することを刷り込んでいるのだと自覚する必要がある。でなければ、子供の反論一つで打ち砕かれるだけだ。