天才になれるかは、到達するか死ぬまで判らない

内容一文

 「天才になる可能性」は、人生の終わりまで消えることはない。

ひらめきに必要な土台は、ひらめくまで判らない

“Genius is one per cent inspiration, ninety-nine per cent perspiration.”

  - Thomas Alva Edison

 発明王トーマス・エジソンは言った。「天才とは1%のひらめきと、99%の努力である(99%の努力も、1%のひらめきがなければ無駄である)」。1%のひらめきを出発点に、さらに努力を積み重ねてようやく「天才」と言われる仕事に結びつく、と。

 これだけを抜き出して、1%のひらめきの前は0であるかのように語る向きもあるが、違うと思う。多くの分野では、ひらめきに必要な土台を得る為には、前段階としての努力が要求されるだろう。そこで要求されるのはひらめきではなく、それに必要な情報と実用性を身に付けることだ*1

 例えば「ポアンカレ予想」を解決した・・とされるグリゴリー・ヤコフレヴィチ・ペレルマン博士が、それを発表して見せた際のエピソードは、その場に居合わせた数学者達には思いつく土台すらなかった、ということを示す*2

殆どの数学者がトポロジーを使ってポアンカレ予想を解こうとしたのに対し、ペレリマンは微分幾何学と物理学の手法を使って解いてみせた。そのため、解の説明を求められてアメリカの壇上に立ったペレリマンの解説を聞いた数学者達は、「まず、ポアンカレ予想を解かれた事に落胆し、それがトポロジーではなく(アメリカでは古い数学と見下されていた)微分幾何学を使って解かれた事に落胆し、そして、その解の解説が全く理解できない事に落胆した」という。

(NHKスペシャル 2007年10月22日放送分 『100年の難問はなぜ解けたのか ?天才数学者 失踪の謎?』)

『ポアンカレ予想 – Wikipedia』より孫引き

天才の努力量による区分

 ひらめきにも土台が必要であるとはつまり、一口に「天才」と言っても、「平均くらい?の努力でそこへ到達できた天才」「がんばって努力したら到達できた天才」「全てを投げ打って努力したら到達できた天才」等々の区分ができるということだ*3。努力は天才になれることを保証しないが、ある人物がある努力量でそこに到達できるか否かは、実際の努力によってのみ示される。多くの人は、全てを投げ打って努力などしていない*4のだから、「全てを投げ打って努力したら到達できた天才」でないとは限らない。全てを投げ打ってまで天才○○になろうと思わなかっただけだ。一度でも手を緩めた者が、それであったか否かは永久に判らない。

 逆に、天才でない全ての人は、あとどの程度か頑張ったら天才になれる(かもしれない)人だというわけだ。あなたも私も。だからそこへ到達してみたいのなら、努力という掛け金を払い続けることだ。金額は欲求の強さに応じて決めれば良い。昼休憩の10分を費やす程度の欲求なら昼休憩を。休暇を全て賭すならばそのように。

 天才になれるか否か、人生の終わりまで結論は出ないかもしれないが、だからこそ、人生の終わりまで可能性が消えることもない。

何についてでも言える、当たり前のこと

 ここまで、「天才」を元に書いてきたが、「○○できるようになること」と言い換えても大筋は変わらない。到達点が幾分明確になり、目標が定めやすくなるだけだ。始めないことはできるようにならない。そして何歳から始めようと、どの程度の努力量だろうと、どこまで到達できるかは最後の時まで判らない。ただそれだけのことだ*5

 これについては本筋ではないので、以下の引用に語ってもらおう。

“And remember the quote from the 90-something woman who, when asked about her regrets said, “If I’d known I was going to live this long, I’d have taken up the violin at 60. I’d have been playing for almost 40 years by now…”

(そしてあの九十何歳かの老婆が、後悔していることは何かと聞かれた時の答えを覚えておこう。「こんなに長生きすると知っていたら、60の時にバイオリンを始めたでしょう。そうしていたら、もう40年くらい続けていたことになります・・・」)

Creating Passionate Users: It’s not too late to be a genius

おくづけのようなもの

何これ?

 Ayasという個人の思う「天才」像。

本記事での「天才」の意味

 「天才○○」「○○の天才」と言われる人。割とてけとー。

お前天才?

 「全然まったくさっぱり」凡人。通勤時間を賭すくらいは、情報を仕入れることは続けるつもり。

*1:この量と実用性についての基準は何一つなく、ひらめきの内容や個人の特性によっても違いが出るだろう。

*2:筆者はペレリマン博士の証明どころか、大学レベルの数学知識すらないので、単なるイメージ。同番組を見たが、特に物理学を持ち出されて判らなくなったらしい。

*3:何を思いついて「天才」と呼ばれるかによって土台となる情報量は変わるし、ある情報量を吸収するのに必要な時間にも個人差があるから。

*4:そんな人が多ければ、とっくに社会が崩壊している。あることについて天才になる為の努力を強要することは、それに不要なあらゆることを投げ捨てさせる行為に他ならない。

*5:ただ、引用元の記事は、本記事よりもう少し厳しい。"Wired 14.07: What Kind of Genius Are You?"を引いて、「もちろん何も成し遂げていない65歳がみんな知られざる経験型イノベーターというわけではない。これはクリエイティビティに関する一般理論であって、たるんでいるベビーブーマーの自尊心へのバイアグラではない。怠慢や先延ばしや無関心を正当化するものではないのだ。しかしこれは、絶えざる好奇心を持って働き続け、彼方のウサギにくじけることのないひたむきなカメたちの心を勇気づけるかもしれない」と書いている。(日本語訳は引用元記事の日本語訳による)


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