野次馬の矛先だって刃物には違いない
昨夜は凄いものを見た。
エジプトのあの人達は1つ大きな事を達成した。
まさに歓喜の渦だった。
お決まりの言葉ながら、民主化を目標とするならこれは通過点だ。これからがまた問題だ。が。
1つ大きな事を達成したエジプトは、徐々に注目されなくなるだろう。
私もそういう野次馬の一人のはずだ。自分からニュースを探し続けるだけの(エネルギーではなく)モチベーションがない。
近々復活させるRSSリーダーに中東情報を登録するくらいがせいぜい。その程度の情報収集は前からしているから、Twitterに情報が流れなくなれば、以前と変わらない状態に戻ってしまうに違いない。
ここ最近のようにスイッチが入れば注目するし、協力したいとその時は強く思うけど、絶対飽きる。
そういう者が、状況を注視し続ける人たちの真似をしてもあまり意味はない。
飽きる前にできることをした方がマシだろう。見聞きしたものをまとめて検索は苦手だけどモチベーションは高い人のハードルを下げるとか。
3ヶ月ごとにエジプト情勢を見ないと死ぬ呪いにかかるとかね。
※「エジプト」を「パブリックコメントが盛り上がった時」に置き換えると、ぱぶこめぼっと誕生秘話(笑)になる。
タイトルは文字数に含まれない
これはある程度まとまった文章を書くための記事である。
などと書いたら、「論理的な長文を書く為の4つのポイント」のようだがそうではない。
「140文字を超える文章を久しく書いていない」と思ったので、400-500文字程度の短文を書いてみようと思ったのだ。
特にネタもないが、ともかく文章を書いて以前との相違を考える。
Webに公開する意味があるのかは疑問だが、本ブログの主旨には沿っているので、まあ良いだろう。
ところで、今挙げたタイトル「論理的な?」はデタラメである。
アリガチなタイトルを付けようとしたのだが、意外と時間がかかってしまった。
この程度のでっち上げに1分もかかった事実は、文章どころか日本語能力そのものの低下を示すと思われる。
……話がずれた。
こういう脱線は、文章巧者が使うならともかく、私には扱えないと常々思っているのだが、ついつい書いてしまうことが多い。
以前からある悪癖で、能力の低下と言い訳できないのが悲しい。
話を元に戻そう。
本記事の目的とは何だったか。
それは「ある程度まとまった文章を書くこと」であった。
既に文字数は450字程度なので、ほぼ目的は達成したと言っていいだろう。
脱線も含まれているが、脱線したまま数百mを走ってなお犠牲者を出さなかった例もあるので、まあ良いだろう。
保温と乾燥による、ぐーたら者の暑さ対策
部屋全体としては空気の流れを作る事。体については保温と乾燥を心がける事。
外から帰ったときのクーラーが神に思えるのは体が熱いからで、体が慣れてくると設定温度を下げたくなる。でも頭だけ暑い時はクーラー付けても効果が薄い。体だけ冷やしてもクソ暑い。あと、空気の流れが無いと無駄に暑い。
2,980円の扇風機さんがんばれ、そんな最近の暑さ対策。
暑い
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扇風機等で空気の流れを作る
直接体には当てず、空気の流れを感じられる程度の環境にする
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まだ暑い
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5分だけ除湿してみる
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まだ暑い
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手で体の露出部分(腕とか)を触って熱いならクーラーをつける(28?30度)
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まだ暑い
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髪・頭皮をドライヤーで乾かす(洗髪した方が気持ちいいが、洗い過ぎると・・)
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まだ暑い
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体を温める
熱めのシャワー、軽い運動、タオルケットに包まる、全身に軽くドライヤー等々
ぐーたら的観点からはタオルケットがお勧め。でも汗をなんとかしてからね。
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ここまでで解決しているので続きはなし。
なお、飲み物はあくまで水分補給として使い、「体を冷やす為にキンキンに冷えた奴を!」なんて真似はしないこと。無駄なので。
2009/07/22 皆既日食があった日記
大阪は曇り、世界が終わりそうな曇天。じっとりと湿って風もない。晴れ間もない。当然日食など見えない。
テレビやネットで、欠け行く太陽が中継されている。今も見ている。欠けていく。暗くなる。面白いかと聞かれたら・・
「いや何も考えてない」
と答える。半分嘘だ。今まさに、こんな事を考えている。でも半分は本当だ。頭の中はいつも言葉で一杯、目的も方向もばらばらに、何本も線が引かれているのが自分。それが、空っぽの時間を過ごす。
空っぽになる時・・言葉が凪ぐ時は限られている。走り続けた時、夕日を見る時、風呂に浸かったまま10分以上歯磨きし続けた時。日食・月食を見る時、欠け行くに従って言葉が消える。視野が広がり、些細な音まで聞こえ出し、皮膚感覚が鋭くなる。それらから得るものが他人事のように感じられ、何の感慨も沸かなくなる。物語を読むかのように。たぶん、理想的な死のタイミングはそんな時だと、思っている。だって半分死んでいるんだから。
今日は死ぬにはいい日だったけど、生きっぱなしでここにいる。だから、いつか都合よく死がやってくるまで生きていよう。『願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ』そんな詩もまだ浮かばないことだし。
命は大事だと教えたいのなら
今月6日、秋田市の県動物管理センターで、県内で保護された犬18匹と猫18匹の殺処分の現場に立ち会った。
中には、やつれた体で6匹の子犬に授乳していた母犬もいた。前日まで職員が譲渡先を探したが、見つからなかった。(イヌネコの殺処分に立ち会った、人間には「看取る責任」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞))
これへの、ネットユーザー(の一部)の反応
はてなブックマーク – イヌネコの殺処分に立ち会った、人間には「看取る責任」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
やはり命は特別なんだよね、みんなが特別だと思っているから。ただ、特別だと思う人達同士でも消化の仕方に違いがある。ある人は動物を「飼う」こと自体傲慢だと言うし、またある人は「人間だけが特別だから他はどうでも良い」と言い放つ。大分隔たった意見でもあり、命が大事という大前提を共有してもいる。そしてその大前提だって、何か根拠があるわけじゃない。
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